数珠の歴史

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数珠の歴史

正倉院には、聖徳太子が愛用された蜻蛉玉(とんぼめ)金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水晶と琥珀の数珠二連が現存しています。
すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。
それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです。
日本に密教をもたらした弘法大師空海(九世紀に活躍)は、青年僧であった時に百万遍の呪文へ虚空蔵求聞持法を唱える修行を行い、今日でも同様の修行が高野山では行われていますが、その時には必ず呪文の数をカウントするために修行僧は数珠を持ちます。
また、念仏やお題目を何度唱えたのかということが重要な場合は、珠数がカウントの機能も持つことになります。
珠数そのものは釈尊の時代からあったのですが、さらに仏教において念珠が積極的に取り入れられるようになったのは、念仏を唱える浄土の教えや密教 (真言宗)がインドや中国で盛んになる5世紀以降になってから、とも考えられるといいます。
念珠の日本への伝来は、百済からの仏教の伝来(552年)とほぼ同じころと言われています。
文献にはじめて見られるのは天平19年(743年)の法隆寺の資材帳に見られます。
当時は船載品として非常に貴重なもので、僧侶の間でもごく一部の者しか使用されていなかったようです。
この頃の遺品が、今、御物として正倉院にいくつか納められていることや、天平勝宝8年(756年)、聖武天皇による東大寺献物帳の一部に、念珠が「国家の珍宝」として献納されていることからもわかります。
そのときの記録によると材質は、金、銀、瑪瑙、琥珀、水晶、真珠、など貴金属、宝石類でつくられており、まさに貴重品であったことが伺えます。
平安末期から鎌倉時代にかけて、いわゆる鎌倉新仏教が展開され、広く民衆にまで浸透し、念珠の普及の時代ですね。
各宗派ごとに使いやすいように改良され、現在各宗派で用いられている念珠の多くはこの頃に形式が作られました。
江戸時代に入ると、幕府の政策もあって仏教は栄え、念珠の需要も急増しました。
元禄年間(1688~1704年)には、一般の売買がはじめて公許されたり、念珠の解説書も現れました。
禅僧の間にわずかに使用されていた片手念珠が普及するようになったのもこの頃です。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れていた明治の頃、曹洞宗の管長だった西有穆山(にしありぼくさん)禅師は、馬車一台もの数珠を買ってきて、出会う人ごとに
「仏教を信じなされ。幸福を与え、身を護る数珠でござる」
と、街頭伝道をしたそうです。
数珠には如意宝珠のような除災招福の神力があるとされ、持っているだけで魔除けになるのです。数珠には、そういう功徳が備わっているのです。
信濃の善光寺では今でも、ご上人が本堂に参詣されるときの途上、道にしゃがんでいる信者たちの頭を数珠でなでる「御数珠頂戴」の行事が行われています。
これも数珠の功徳をいただく風習です。

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